
おはようございます。maruchikaです。
今日は会社のおじちゃまを見ていてふと感じたことを。それは忘れる能力があることと年を重ねてきたことによる体の変化がもしや悟りに近づいてるんじゃない?(笑)と思ったことなんです。
忘れることは人間の持つ素晴らしい能力の一つなんだと感じたのは、忘れることにより、おじちゃまはいたって幸せそうに、『今、目の前にある仕事』に集中していたこと。
そして、若い人にはない能力として『耳が遠いため雑音が聞こえない』『目が悪いためネガティブな資料が見えない』があることにおじちゃまを観察していて気づいたんです。
耳が遠いのは、周りのイライラしている雑音が本当に聞こえなくて、ある意味空気を読まずにイライラしている人ににこにこして話しかけたりしているのですが、イライラさんもそこまで空気感じてないと思わずほっこりするようで、イライラがその時はどこかにいってたんですよ。
それ見て、空気読めないって才能だな。と思いましたもん。ネガティブな空気読んでもいいことないですもんね。見習いたいと思いました(*’▽’)
素直に何も裏のない気持ちで接すると相手の空気まで変わることを教えてもらいました。見えない無意識の感情を相手も無意識に感じ取っているんだというお話を心の師匠から聞いてたところなので、本当だなぁと実感しました。
私は相手がイライラしているのがわかってしまうのでどうしても気を使ったり、イライラを浴びないように工夫したり(笑)するので、あんな気持ちよくは接することは出来てないです。
見えてないのもいいことがあって、回覧などでネガティブな内容などが多かったりするときは、見えないから。とばっさり自分に不要なものは切り捨てています。年のなせる業だわぁ。。と感心してしまいました(笑)
なので、見えないは若干都合のいい見方をしている感じですが、それも必要なスキルなんじゃないかなぁとおもいました。神経質に心配ばかりするくらいなら、おおらかにしているほうがうまくいくんだろうなぁと、そのおじちゃまの自然体をみてすごく思いました。
年を取ると体力的にも衰えてきたりもしますから、無駄なところにエネルギーを使わないように体も心も変化していくんだなぁとおじちゃまを観察していて感じます。身体の機能が低下する分、心は悟りに、平穏に近づいていくのかなぁとみていてそんなことも思ってました。
瀬戸内寂聴さんの名言にもありますが
『人間は忘れるようにつくられているんです。
この「忘れる能力」というのは「救い」です』
と言っておられます。
本当にそうですよね。いいことすら覚えすぎていると執着になりますし、過去に捕らわれてしまう原因にもなります。悪いことはその時に次どうすればいいかを考える。反省しても落ち込むだけですもんね。落ち込む時間があるなら次どうすればよいかを考えるほうが建設的ということを心の師匠もおっしゃってました。
いやはや。日々気を付けて観察したり、成長したいと思って過ごしていると色んなことが見えてきて、どんなことや場所にも学びがあるんだなぁと最近めちゃめちゃ感じています。
気づかなかったことに気づけたときの発見した!感はすごいです(笑)気づきゲーム♪みたいな感じで日々を楽しく過ごせてきてます。
大変なことほど気づきが多かったりして、楽しめている部分が自分の中にあることに気づき驚いてます。以前なら感情に振り回されていっぱいいっぱいで心の余裕がなかったから見えないものがあまりにも多かったんだなとわかりました。
知らないことに気づくことの大切さを実感しています。
今日はおじちゃまを観察してたくさんのことに気づかせて頂きました。こっそり感謝してまた来週からもおじちゃまのお仕事をフォローしていきたいなと思います。
本日もご覧いただきありがとうございます。
良い一日をお過ごしください♡